中学受験は地頭がすべてではない理由

中学受験は地頭がすべてではありません。なぜそう言えるのでしょうか。その理由を紹介しています。


地頭よりもカリキュラムの影響が大きい

「兄妹でうちと同じ年だ! え? 小1でかけ算をやっているの? すごくね? 算数塾って、何???」

中学受験、未経験。
この状態から親塾をはじめました。

で、情報収集した結果、予習シリーズをメーンにして進めてきたわけですが、まあ、効率が悪かったですね(※)。
※数学と根本はそう変わらないので教えることについては問題なくても、何をいつできるようにするのか、どのような問題を解かせるのかなどのカリキュラム面は良くありませんでした。

そのせいで、小4の息子は以下。

・浜学園の模試(小6)の過去問で、偏差値56〜58ほど
・小4の終わりあたりには準御三家に届きそう、うまくいけば御三家にも(※)。
※浜学園の偏差値だと開成中は62。ただ偏差値だけではかれないので、塾のカリキュラムとはちがって入試問題の対策もしています。ちなみに、高校受験だと能力的にはトップの公立高校(数学)にて上位合格できるレベルです。

今だからわかりますが、現在のカリキュラム、息子のセンスならば、「小3の後半〜小4の夏」あたりには実現できたことですね。
息子には申し訳なかったな、と反省しています。

で、息子のときの反省をもとにカリキュラムを作りなおした結果、算数のセンスがあまりない小2の娘は以下になりました。

・浜学園の模試(小5)の過去問で、偏差値54〜56ほど(※)
※「浜学園の偏差値=四谷大塚の偏差値+10」といわれています。

ここから、「算数のセンスはそれほど影響しないこと」「それよりも指導者の力量のほうが遥かに重要だということ」がわかるのではないでしょうか。

・算数のセンスがそれなりにある子どもなのに、指導者たるわたしの力量不足で進度が遅くなる
・算数のセンスがあまりない子どもでも、指導力があれば高進度になる

あくまで「我が家のケース」と一例ですが、再現性はあると思います。

地頭よりも塾講師の腕の影響が大きい

カリスマ講師にはいくつかパターンがありますが、そのうちの1つ。

・つまづく箇所がわかっている
・そこをわかりやすく解説できる

つまり、「非」カリスマ講師に教わると、「つまづく。わからない → 質問しないといけない」が増えます。

で、この「質問」が壁になります。

大半の子どもは、「一刻も早く家に帰ってゲーム」なので質問しないと思います。
仮に親が「質問しに行け!」と強制しても、そもそも先生の教えかたが悪くて一発で理解できなかったわけですからね。

わかったような、わからないような、からの、「とにかく覚えろ!」となるのではないでしょうか(※)。
※もちろん、子どもに基礎学力がついていないケースもあります。基礎学力をつける時間なんてないので「覚えろ」となることもあると思います。

つまり、カリスマ講師を引き当てたかどうかが学力に影響します。

地頭よりも子どもの性格の影響が大きい

小4の息子、算数・数学のセンスはそれなりにあると思います。

が、とにかく雑!!!
精緻さの欠片もありません。

通塾だけだと最終的には算数の偏差値60前半(四谷大塚の偏差値)に落ち着いたと思います。
小4ですでにそのレベルの学力を超えているのは、親塾にて、「優秀児にあって息子にはないもの」を見つけて(それが精緻さ)、そこを矯正していることもあります(もちろん、教えかたもあります)。
つまり、欠けているパーツを見つけて足せば、どんどん偏差値をあげられるわけですね。

ただ、実現するのは難しい!

つぎのようにすれば地頭はそんなに関係なく、偏差値をあげることができます。

・通塾する場合はカリスマ講師を引き当て、子どもの性格を把握して欠けているものを足す。
・塾よりも効率がよいカリキュラムを作って、親が教えて、子どもの性格を把握して欠けているものを足す

ただ、実現するのは難しいですよね。

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