公文式の教育システムについての考察

公文式については「ファン」「アンチ」がいて、議論が活発です。
ここではすこし視点を変えて、公文式の教育システムについて考察してみました。
あくまでわたし個人の見解です。


公文式の構成は「帰納法」

何かを教えるとき、「演繹法」と「帰納法」を意識します。
わたしの経験上、大ざっぱにいうと以下です。

・成績がいい、頭がいい → 演繹法
・幼い、苦手 → 帰納法

実際、その「層」にあっています。

<ゲームが欲しいことに対して>

・頭がいいひとが好む会話(演繹法)
「勉強の効率をあげるには適度な休息が必要。休息には脳を活性化させるのが一番。それにはゲームが最適。だから、(勉強の効率をあげるためにも)ゲームを買って」

・幼い子どもの会話(帰納法)
「Aくんも、Bくんも、Cくんも、みーーーんな、ゲームもっているんだよ? だから、ゲームを買って」

で、くもんのドリル。
主語を教えるのに、ひたすら「〜が、〜は」を抜き出させています。
算数でも「2+1」「3+1」「4+1」など、同じ系統の問題の繰り返し解かせる構成をしています。

帰納法的な構成ですよね。

つまり、公文式は、幼児や低学年の子どもにあっていて、実績もできるため、ファンがいるのでしょう。

そして、「低学年、苦手なひとには、帰納法のほうがいい」みたいなことさえわかっていないひとたちが、「公文式は、なんで、そんなくだらないロジック(帰納法)なんだ!」と怒っている、という感じでしょうか。

帰納法では、指導者は不要

帰納法は、ひたすら例をあげていくだけです。
それを読むだけで勉強が進められるので、教材を作りこんでさえいれば指導者は不要です。

実際、公文式には塾のように指導する先生はいません。
帰納法で教材をつくりこんでいるので、プリントを配布したりするだけで足りるのでしょう。
公文式が安価なのは、指導者がいないに等しいためではないか、と考えています。

公文式には限界がある!

公文式は、小さな子どもにあっていますし、指導者不要で子どもが一人で勉強できるようにもなっています。

しかし、公文式では、たいしたことはできません。
帰納法では教えられる範囲は、かなり限られているためです。
※端的にいえば「かんたんなこと」しか教えられません。


実際、公文式でどれだけ先に進もうとも、偏差値50ほどの中学の入試問題(算数)さえ解けません。

これを穿ってみると――。

公文式では、図形、文章題など、思考力が問われる問題は扱わないそうです。
「くもんで学べば、小学生でも高校数学ができる」という宣伝文句をつくるために、算数や数学のうち、帰納法で教えられる、かんたんなところをかいつまんで、とも見れなくもないです。

その宣伝をまともに受け取ったひとが「くもんでできることなんて限られている!」と怒っているという感じかもしれませんね。
そういうわたしも、くもんの教材を見るまでは、まともに受け取って「小学生に高校数学をさせて正気か? というより理解できないだろ」と思っていましたし。

もっとも、医学部を目指すひとたちは、低学年でくもんを辞めて大手塾にいくようなので関係なさそうですが。

公文式だと、とんでもない間違いをすることもある

実際に幼少のころから公文式に通わせていたかたたちから、「とんでもない間違い」をすることがあると聞くことがあります。
たとえば、「100÷4=250」とするような感じです。
数の感覚があれば、答えは100よりも小さくなるのがわかってこのような間違いはしないのですが、公文式は「帰納法」「解き方を丸暗記させる」ため、数の感覚が育っていなくてこのような間違いをするようです。

公文式と家庭学習のメリット・デメリット

まずは、公文式のメリットです。

・親が教えなくても良い
・「決まった量」「難易度が低い」プリントを解くので学習習慣がつきやすい(ただし子どもによります)

丸付けなども公文式がやってくれるようなので親の負担は少ないようです。
つぎに公文式のデメリットです。

教育のコストがかかる
・親が教えたほうが効率的かつ効果的
・計算問題しかできるようにならないし、数の感覚がつきにくい

公文式でいくら高進度になっても、受験ではたいしたメリットにはなり得ません。

公文式の創設者は天才にちがいない

公文式を考えたひと、天才だと思います。
※帰納法だと教えなくても、勝手に子どもが気がつく。そういう子どもは「実績」をつくるので、ますます集客できる。もちろん、気が付かない子どももいて、それは利益へとつながる。

以上、あくまでわたし個人の見解です。

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